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【壊憲・改憲ウォッチ(62)】「非核三原則」の見直しに関して

2025年12月22日

飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)

高市首相は「非核三原則」見直しを主張しています。

2025年12月18日、高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が「私は核を持つべきだと思っている」と官邸で記者団に述べ、日本の核兵器保有が必要だとの認識を示したことも物議をかもしていますが、ここで「持ち込ませず」を変えようとする高市首相の主張の問題を指摘します。

結論から言えば、「持ち込ませず」を見直せば、アメリカ軍の核兵器の日本配備が常態化する可能性があります。

日本がアメリカ軍の核攻撃の公然たる前線基地になる可能性があります。

必然的に有事の際には核攻撃を呼び込む危険性が格段に高まります。

1950年代の旧安保条約下では、アメリカ軍による核兵器の持ち込みに制限はありませんでした。

こうした状況のもと、以下の基地はアメリカ軍の核攻撃拠点でした。

嘉手納基地(沖縄)、板付基地(福岡)、岩国基地(山口)、小牧基地(愛知)、入間基地(埼玉)、横田基地(東京)、三沢基地(青森)

1954年1月23日 核兵器を搭載したアメリカ空母「オリスカニ」がはじめて神戸に寄港するなど、アメリカ軍は朝鮮戦争後も平壌への核攻撃を想定した訓練を神戸で実施していました。

1960年に日米安保条約が改定され、アメリカ軍が日本に核兵器を持ち込む際には「事前協議」が必要となりました。

ところが核兵器を積んだアメリカ艦船などの一時的な立ち寄りは認めるという「密約」を日米両政府は交わしていました。

機密解除されたアメリカ公文書「コマンドクロノロジー」から、1971年から74年、岩国基地の航空部隊が日本復帰後の沖縄で模擬水素爆弾を使った核兵器投下訓練を繰り返していたことが明らかになりました。

「コマンドクロノロジー」は、当時は岩国、現在は沖縄県中部のキャンプ瑞慶覧に司令部があった第一海兵航空団や傘下部隊による「公式記録」です。

この記録によれば、航空団は1971年7月、核戦争に備える「単一統合作戦計画(SIOP)」に基づく任務に就きました。

航空団傘下の部隊はたびたび那覇のアメリカ軍施設、現在の那覇空港にたびたび移動、核搭載の手順を確認し、沖縄島周辺で模擬水爆の投下を続けていました。

1971年9月の訓練では、「緊急呼び出しから6時間以内に14機が那覇に飛来した」と記録されています。

返還後の1973年3月からの1か月、1974年3月からの1か月も核投下訓練をしていました。

「非核三原則」を見直せば、日本の基地が公然とアメリカ軍の核攻撃基地となる可能性、核兵器搭載艦などが公然と日本に常駐しても良いことになります。

1960年安保改定後に「事前協議」制度が設けられましたが、核兵器持ち込みには、

・「持ち込み」には「一時寄港」は含まない
・「緊急時の沖縄への核の再持ち込み」

を承認する密約が交わされていました。

「非核三原則」の見直しは、こうした密約を公然と実現させる根拠になります。

アメリカ軍の核兵器が常時、日本に配備され、有事の際には日本全土がアメリカ軍の核攻撃の前線基地になる。

必然的に有事の際には攻撃対象になります。

高市首相が主張する「非核三原則の見直し」、いままでのアメリカ軍の対応からすれば、はこうした事態をもたらす可能性があります。

良いのでしょうか?

2025年12月14日那覇基地でのFA18。筆者撮影

2025年12月14日、「美ら島エアフェスタ2025」に参加するため、アメリカ海兵隊のFA18戦闘攻撃機2機が那覇空港に着陸しました。

沖縄県は緊急時以外のアメリカ軍機による民間空港使用の自粛を訴えていましたが、防衛省は申入れに応じず、予定通り実施しました。

緊急時でもないのにアメリカ軍機が民間空港を利用する既成事実が積み重ねられました。

FA18は核搭載可能であることからも、いままでの指摘は非現実的ではありません。

【参考文献】

・TBS報道特集 証言 在日米軍の核(2011年8月13日放映)
・前田哲男・飯島滋明『国会審議から防衛論を読み解く』(三省堂、2003年)
・「【独自】在日米軍、70年代に核訓練/岩国部隊、模擬水爆投下繰り返す」(共同通信、2025年12月13日配信)

なお、この原稿の執筆に際しては元長崎放送記者の関口達夫さんにも資料の提供を含めて大変お世話になりました。

元より文責が飯島にあることも記させて頂きます。