【壊憲・改憲ウォッチ(59)】久米島での日本兵による住民虐殺
飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)
1.久米島では日本軍が住民20人を虐殺
2025年8月20日、「日本軍による住民虐殺80周年追悼集会」が久米島町で開かれ、138名が参加しました。
沖縄戦で組織的戦闘が終わったとされる1945年6月23日(私は22日説ですが)のあとの6月27日から8月20日にかけて、鹿山正氏を隊長とする日本海軍通信隊「鹿山隊」が、スパイとみなした住民20名を虐殺しました。
(2025年9月2日、久米島の新垣幸子町議より写真をご提供いただきました)
虐殺の状況を紹介します。
1945年6月27日…鹿山正隊長が安里正二郎さんを銃で撃ち、即死しなかったため部下に銃剣で刺殺させる。安里さんの妻カネ子さんは近くの山田川で入水自殺
6月29日…鹿山隊が住民9人を殺害。9人全員の手足を縛って目隠しし、銃剣で何度も突いて殺したのちに小屋に火をかけた。
8月18日…鹿山隊が住民3人を殺害。仲村渠(なかんだかり)明勇さん(25歳)の妻は「鹿山隊」の兵士に殴り殺されています。3人の遺体には火がつけられましたが、仲村渠さん夫妻のあかちゃんの遺体の片っぽの足は日本刀で切られ、火の中に投げこまれました。
8月20日…鹿山隊が住民7人を殺害。
2.何をよみとるか
(1)「抑止力」の説得力を失わせる久米島の歴史
仲村渠明勇さんは南部戦線で囚われの身となり、嘉手納捕虜収容所に入れられました。
その際、米軍が近いうちに久米島に艦砲射撃を計画していることを知りました。
そこで仲村渠さんは、久米島の日本軍守備隊は武力の乏しい少人数の通信隊で島は無防備も同然である、いたずらに島民の死を招く艦砲射撃を止めてほしいと米軍に訴えました。
仲村渠さんの訴えを受け入れ、米軍は久米島を攻撃しませんでした(大田昌秀『久米島の沖縄戦』(沖縄国際平和研究所、2016年)137ページ)。
自衛隊の存在は外国の攻撃を思いとどまらせる「抑止力」と主張されますが、久米島を米軍が攻撃しなかった事実からすれば、「抑止力」論は説得力を欠きます。
(2)「スパイ」視の危険性
「鹿山隊」は「スパイ」として住民を虐殺しています。
鹿山隊に殺害された仲村渠明勇さん夫妻の子どもは1歳です。
谷川昇さん、妻ウタさん夫妻の次女は2歳、幼児は生後数ヶ月です。
こうした子どもたちが「スパイ」などできるのでしょうか?
「スパイ」の疑いは、権力当局による虐殺などの正当化に使われる危険性があることを久米島での鹿山隊の住民虐殺は示しています。
(3)日本軍は沖縄の人を殺していない? 「例外的な事例」?
2025年5月10日、参政党の神谷宗幣代表は青森市での街頭演説で「日本軍が沖縄の人を殺したわけじゃない。日本軍にやられたみたいな記述はおかしい」と発言しました。
さらにその後、「日本軍による島民殺害があったことは承知している。ただし例外的な事例であり、多くの軍人は沖縄県民を守るために戦った」とコメントしています。
久米島では20人の住民が日本軍に虐殺されています。
沖縄戦では日本兵による直接の住民殺害は298人、壕内で泣く乳幼児の殺害を強要するなどの「間接殺害」を含めると4766人以上にもなります(『琉球新報』2025年7月10日付)。
これだけ多くの住民が日本軍に殺されても、「日本軍が沖縄の人を殺したわけじゃない」とか「例外的な事例」という参政党神谷代表の発言は正しいのでしょうか?
4766人の犠牲は「例外的な事例」で日本軍は正しかったと言えるのでしょうか?
(4)戦争体験者や関係者を傷つけ、侮辱する「歴史修正主義」
2025年8月28日、谷川昇さんの長男の同級生であった上江洲教昭(のりあき)さんが参政党の政治家について、「日本にこういう政治家がいたものか」、「沖縄の悲しみを全く分かっていない、残念に思う」とお話されていたと久米島の新垣幸子町議から聞きました。
上江洲教昭さんの発言も、史実を否定したり歪める「歴史修正主義」が戦争体験者や関係者を傷つけることを示しています。
安里正二郎さんの妻カネ子さんは山田川に入水自殺しています。
スパイとのうわさが立つだけで家族全員を殺すのが日本軍のやり口であったため、カネ子さんは親族に迷惑をかけないようにと家出をしました。
そして家出ののちにカネ子さんは山田川に入水自殺しました。
そのショックでカネ子さんの母も寝込んでしまい、間もなく死んだそうです。
カネ子さんのお姉さんは「妹も日本軍に殺されたも同然です」「日本軍がにくいですよ」と言っています(大田昌秀『久米島の沖縄戦』(沖縄国際平和研究所、2016年)217ページ)。
女性を殴り殺したり、殺した赤ちゃんの足を切って火の中に捨てるなどの行為をした日本軍を擁護する自民党西田議員や参政党神谷代表、みなさんはどう思いますか?
※本稿の執筆に際しては久米島の新垣幸子町議に聞取りや資料提供で大変お世話になりました。この場にてお礼をさせて頂きます。もとより本稿の文責は飯島にあることも併せて報告させて頂きます。