【壊憲・改憲ウォッチ(61)】内閣は改憲原案を提出できるか?
飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)
【1】はじめに
「(内閣が)憲法改正の原案を国会に提出することも可能。内閣としてこの考え方に変わりはない」。
11月4日、衆議院本会議で高市首相はこう答弁しました。
この高市発言の問題点を『東京新聞』2025年11月14日付は取り上げています。
『東京新聞』2025年11月14日付での私のコメントの一部を紹介させて頂きます。
「飯島滋明名古屋学院大教授(憲法学)は『国民が制定した憲法に権力者は拘束される立憲主義を踏まえれば、提案権は、主権者である国民から直接選ばれた国会議員にしか認められるべきではない。学会でも有力な説の一つで、自民党内でも提案権は国会に限られると考える議員はおり、一枚岩ではない』と述べる。」
いつもながら『東京新聞』は良い記事を社会に提起しており、「権力の監視」「社会の木鐸」としての役割を見事に果たしています。
上記の「有力な説の一つ」とは、樋口陽一東京大学名誉教授の見解です。
高市発言は極めて重大な問題を含んでいます。看過できません。
そこで東京新聞での私のコメントなどを踏まえ、高市発言の問題を紹介します。
【2】内閣に憲法改正原案の提出権はあるか。
この問題ですが、『東京新聞』2025年11月14日付で木村草太東京都立大学教授が指摘するように、「学者の間でも見解は真っ二つに割れています」。
その上で、「内閣は実際には議員たる資格を持つ国務大臣その他の大臣を通じて原案を提出することができるので、内閣の発案権を議論する実益は乏しい」というのが通説です。
ただ、2020年以降、私はできる限り憲法審査会を実際に傍聴し、傍聴できない時には議事録を確認していますが、実際に現場を見れば、「内閣の発案権を議論する実益は乏しい」という通説は適切ではありません。
というのも、「改憲条文案」を作成するには改憲政党・会派の間でも十分な議論と詰めの作業が必要になります。
たとえば今、衆議院の憲法審査会では「国会議員の任期延長改憲論」が議論されています。
国会議員の任期延長改憲論について2023年11月30日、公明党の北側一雄委員は以下の発言をしています。
「昨年の通常国会でも20回、通常国会、臨時国会で20回、今年の通常国会でも15回実質審議が行われたんですが、その実質審議の中でも、この緊急事態条項をどうしていくのかということは相当議論がなされ、前の通常国会では論点整理までなされました。そういう意味で、議論は相当に詰まっていることは間違いないというふうに思うんですね……5会派の間では、ほぼその方向性、そして必要性、また、仮に条項をつくるとしたら、こんな条項かなというふうなことも含めて、相当共有されているんですよね」。
北側議員が述べているように、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党、有志の会の改憲5会派は、「国会議員の任期延長改憲」が必要という点では一致しています。
ただ、改憲のための「条文案」の作成に関しては、そう簡単に進まない可能性が想定されます。
たとえば「議院任期延長」の要件となる「選挙困難事態」の認定に関しては、自民党は過半数の議決で可能という立場ですが、公明・維新・国民民主・有志の会は「出席議員の3分の2」以上という要件を主張しています。
「条文化」に関して一番困難と私が考えるのが「裁判所の関与」で、自民党・公明党は「選挙困難事態」の認定は内閣と国会だけで良いというのが基本的な立場ですが、日本維新の会は「憲法裁判所」の関与も必要で、「憲法裁判所」の判断は法的拘束力を持つと主張、国民民主党は最高裁判所による「勧告的意見」との見解です。
維新が主張するような「憲法裁判所」を設けるとなれば、それこそかなりの議論になります。
こうした違いをすり合わせて「条文案」を作成するには相当の議論が必要になります。
一方、内閣に憲法改正原案の提出権があるとされれば、綿密な議論もされず、主権者である国民に議論が分からない状況で改憲原案が作成、国会に提出される可能性があります。
立憲民主党の吉田はるみ議員は「国民に開かれた、丁寧な憲法論議が必要とされているのにもかかわらず、いきなり内閣が改憲原案を国会に提出するというのはあまりにも乱暴ではないか」と述べています(『東京新聞』2025年11月14日付)。
極めて正当な指摘です。
【3】憲法改正権の主体は「国民」
1789年からはじまるフランス大革命では、ルイ16世を中心とした旧体制(アンシャン・レジーム)に対して民衆の不満が爆発、旧体制が倒されました。
旧体制を打倒するに際してはシェイエスの「憲法制定権力」論は大きな影響を与えました。
ブルボン王朝という歴史的伝統を背景とする「王政」が現存する中、シェイエスは『第三身分とは何か』の中で、「憲法制定権力」は無制約の権力であり、「憲法制定権力」が発動されればすべての政治体制を変えることができると主張しました。
そしてシェイエスは、「われわれに憲法が欠けているとすれば、それを作らねばならないが、その権利を有するのは国民のみ( la nation elle-même )」と主張しました(シェイエス著、稲本要之助・伊藤洋一・川出良枝・松本英訳『第三身分とは何か』(岩波書店、2017年)99頁)。
フランス大革命に大きな影響を与えたシェイエスの「憲法制定権力」では、国民だけが憲法をつくる権利をもち、憲法制定権力の主体とされました。
アメリカでも連邦憲法では、憲法制定権力の主体は「人民」とされました。
ハミルトンは《フェデラリスト》で、「憲法は人民の意思の直接の表明であり法律は人民の受任者の意思の表現である」旨の論旨を展開しています(芦部信喜『憲法制定権力』(東京大学出版会、1983年)13頁)。
芦部先生が指摘するように、アメリカやフランスでは憲法改正権力の主体は国民とされました。
日本国憲法でも前文の最初で、「日本国民は、……ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とされているように、国民が憲法制定権の主体とされています。
【4】「立憲主義」と内閣の改憲原案発議
個人の権利・自由を保障するために「最高法規」とされる憲法に権力者は拘束されるという考え方は「立憲主義」と言われます。
「立憲主義」の現われとして、憲法99条では内閣や国会議員などに「憲法尊重擁護義務」が課されています。
「立憲主義」からすれば、権力者は憲法を守らなければならないのであり、内閣や国会が改憲を主張することは、「憲法尊重擁護義務」(憲法99条)からは問題があります。
ただ、「憲法制定権力」論を紹介しましたが、大多数の国民が改憲を望んだ場合に限り、憲法改正の議論や発議をすることが例外的に認められます。
その際、憲法制定権の主体は「国民」であり、改憲の発議は「全国民の代表」とされる国会にだけ認められる権限となります。
選挙で選ばれない大臣も含まれることもあるため、内閣に憲法改正原案の国会提出を認めることは「立憲主義」や「国民主権」から正当化できません。
【5】まとめ
個人の権利・自由を保障するために「最高法規」とされる憲法に権力者は拘束されるという「立憲主義」、その表れである「憲法尊重擁護義務」からすれば、改憲原案の提出など、改憲にむけた政治は、主権者国民が望んだ場合にだけ正当化されます。
「立憲主義」や国民主権の表れである「憲法改正権」の意義を踏まえれば、改憲原案の作成は、主権者である国民から選挙でえらばれた議員で構成される国会にしか認めるべきでありません。
現実問題としても、憲法審査会で審議されれば、適切な議論がされるかどうかはともかく、各政党・会派の議論を経た上で条文案が作成されます。憲法審査会での議論も公開されます。
一方、内閣に憲法改正原案の提出権があるとされれば、条文案作成にむけた綿密な議論もされず、主権者である国民の目に触れない形で改正原案が作成・提出される可能性もあります。
内閣の改憲原案の国会提出は、「国民主権」「立憲主義」から正当化できません。
