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3.20「憲法を破壊する集団的自衛権行使反対! 戦争をさせない1000人委員会出発集会」を開催

2014年3月22日

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3月20日、東京・日比谷野外音楽堂で、「憲法を破壊する集団的自衛権行使反対! 戦争をさせない1000人委員会出発集会」が開催されました。悪天候の中でしたが、会場から溢れ出る約4000人ものご参加をいただき、熱気あふれる集会となりました。

前段の企画として、森田嵩允さん(ギター、ヴォーカル)とko2rockさん(サックス)によるセッション、清水雅彦さん(憲法学者・日本体育大学准教授)による解説、松崎菊也さん(戯作者)のトークが行われました。

上原公子さん(元国立市長)の司会で、集会は進められました。最初に、開会のあいさつに立った鎌田慧さん(ルポライター)は、集団的自衛権行使容認へ突き進む安倍政権と対決し、戦争をなくし、みんなが明るく生きていける社会をめざす運動として「戦争をさせない1000人委員会」のネットワークを全国に拡げようと訴えました。

続いて政党からの連帯あいさつとして、民主党・近藤昭一衆議院議員、社民党・照屋寛徳衆議院議員、生活の党・鈴木克昌衆議院議員、共産党・笠井亮衆議院議員より、それぞれ発言を受けました。

「戦争をさせない1000人委員会」事務局長である内田雅敏さん(弁護士)から、安倍政権の憲法破壊を危惧する人びとが立ち上がり、3月4日の発足集会で全国にアピールを発したこと、そして呼びかけ人は100人に達していることが報告されました。

そして大江健三郎さん(作家)、山内敏弘さん(憲法研究者・一橋大学名誉教授)、池田頼将さん(元イラク派遣航空自衛隊員)、小山内美江子さん(脚本家)、落合恵子さん(作家)、佐高信さん(評論家)から発言をいただきました。また、高畑勲さん(アニメーション映画監督)からも、集会へメッセージを寄せていただきました。
(発言要旨およびメッセージは下に掲載しています)

これからの行動として、福山真劫さん(平和フォーラム共同代表)が、次のように提起しました。
・「戦争をさせない1000人委員会」に参加・賛同してください。地域や職場に、参加・賛同の輪を拡げてください。
・全国で署名運動にとりくんでください。第一次の締め切りは5月末です。
・地域や職場で、「戦争をさせない」、集団的自衛権の行使容認を許さないという集会、学習会などの行動を強めてください。
・国会議員や全国の地方自治体の議会に対して、集団的自衛権の行使容認は絶対許さないという要請行動を強めてください。
・閣議決定が最大の山場です。そのときは全国から、駆けつけていただきたいと思います。

司会の上原さんから、暴走したら止まらない安倍さんを私たちで封じ込めようとの呼びかけで、集会は終了しました。

以下に、発言要旨およびメッセージを掲載します。(文責・事務局、写真提供・今井明さん)

 

開会あいさつ:鎌田慧さん(ルポライター)

鎌田さん

鎌田慧さん

皆さん寒い中、本当にご苦労様です。戦争をさせないという熱意のこもった集会にしたいと思います。皆さんの熱心な参加をうれしく思います。

福島第一原発事故から3年間、「さようなら原発」という脱原発運動をとりくんできました。今度は「さようなら戦争」、戦争をなくすことです。これは憲法9条という固い誓いであるとともに、日本に対して世界が期待するものです。

しかし安倍政権は、集団的自衛権行使を認めるというかたちで、とにかく改憲に踏み出そうとしています。多くの批判のなか行われた昨年の靖国参拝も、集団的自衛権の行使容認をきっかけにして、日本を戦争ができる国としていくという決意の現われであったのだと思います。

私たちのたたかいは、そういう安倍政権の野望を止める、戦争をさせないということです。ここから出発して皆さんとともに、大きな運動をつくっていきたい。

「戦争をさせない1000人委員会」は、1000人で何かをやるということではありません。全国各地に「1000人委員会」をつくっていくということです。皆さんの地域で「1000人委員会」を、どんどんつくってください。そして「戦争をさせない」集会をあちこちで、網の目のようにつくっていきましょう。

日本全体に拡げて、日本を平和で、仕事があり、原発のない、差別のない、みんなが明るく生きていける方向へすすめていく。そういうことが戦争をなくすことになると思います。戦争に参加するような政権を打倒していく決意をもって、がんばっていきましょう。

 

内田雅敏さん(弁護士、「戦争をさせない1000人委員会」事務局長)

内田さん

内田雅敏さん

安倍政権の憲法破壊の動きに対して、多くの方が危惧を感じ、3月4日、「戦争をさせない1000人委員会」の発足集会を行いました。そして今日、こうして出発集会を開催しています。

「1000」という数字には多くの、たくさんという意味を込めています。全国各地に「1000人委員会」をつくり、「解釈改憲」によって集団的自衛権の行使容認を許さないという署名にとりくみ、また集会・学習会を行っていきます。

戦後日本は日米安保体制による憲法空洞化の歴史でしたが、どうしても超えられない壁であったのが「集団的自衛権の行使」でした。「個別的自衛権」は、憲法のどこにも書いていない「国家当然の法理」という言葉で認めたものの、ここからどう展開しても「集団的自衛権」にはつながらないのです。

「解釈改憲」によって集団的自衛権行使容認をするということは、日米安保条約第3条の「憲法上の規定に従うことを条件に」という制約すらとっぱらい、一切なんでもありにするということです。許すことはできません。

参加された皆さんだけではなく、全国各地の、さまざまな人びとと連帯し、「戦争をさせない1000人委員会」の運動をすすめていきましょう。

 

大江健三郎さん(作家)

大江さん

大江健三郎さん

私は暗い小説ばかり書いてきました(笑い)。しかしいまの現実の世界で起こっていることのほうが、暗い。政治の見通しのほうが、私の小説よりももっと暗いという現実に立ち至っていると、私は考えています。

福島原発の事故後の現状、そしていまの内閣がやっている新しい政策を見て、私はとても暗くなり、自分が何も話すことができないと言っておりましたら、私の家内は、あなたがこの前書いたもののなかの最後にある詩のようなものを、若い人たち、とくに女性に聞いてもらったらどうか。そうすれば、あなたがなお、少しは希望も持っているんだということが、わかってもらえるんじゃないかと言いました。

日本が戦争に敗れ、食糧も少なく、日本がどう進むかわからないとき、私は小学校の5年生でした。先生が朝礼でこう言われたのですね。私たちは、日本人は生き直すことはできない、と言いました。私は老人で、生き直すことができない。子どもである皆さんも、もう国と一緒に滅びるだけで、生き直すことはできない、と言われたんです。ところが、群衆の中から、私の母親は手を挙げまして、それは違う、と言いました。あなたは生き直すことできないかもしれない。しかし子どもたちに対しては、あなたたちは生き直すことができると言うことが、私たち、年をとった者たちの生き方ではないか。その言葉を、私はこの前出した、自分の最後になると思う小説(『晩年様式集』)に書きました。

首相がつくった私的機関である「安保法制懇」がこういう答申を出そうとしている。日本は集団的自衛権というものを使わなくてはならない。それが唯一の、積極的な平和に向けての道なのだ。そのことを、内閣で決議する。集団的自衛権とは何かと言うと、アメリカと一緒に戦争をするということですよ。

いま、世界が非常に危険な状態です。そしてそれは、この戦争には参加する、この戦争には参加しない、といったものではないのです。ひとつ間違えば、アジアも、世界も滅びるかもしれない、そういう時代に、アメリカは戦争をしている。そういったときに集団的自衛権があるとして、首相がアメリカと一緒に戦いますと言って、押し通そうとしているのが、いまやろうとしていることです。

このような閣議決定を承認しないし、「国民投票」を求めます。たくさんの人たちと一緒に行動を重ねて、このように集まっている皆さんをはじめ、こうした動きを中止させる大きな運動にして持続するなら、今の政権は持たないでしょう。少なくとも世界中で戦争をする国として先頭に立つということは避けることができるということが、私の申し上げたいことです。

さきほどの、私の持つ希望というのは、こういうことです。先生が日本にはもう希望がないと言われた。君たちに希望はない、私たちにも希望はない。しかし、私の母は言った。先生には新しい生き方をつくる希望はないかもしれない。しかし次の世代を担う子どもたちには、そして明日生まれてくる人たちは、世界を、生き方をかえることができるんだ、と。

「私には生き直すことはできない。しかし/私らには生き直すことができる」。これが私の詩なんです。私はもう老年です。どうしてもたいしたこと、希望を語ることもできないでしょう。私は生き直すことはできない。しかし、あなた方は、生き方をかえることができる。あなた方とともに、私も、自分の生き方をかえることができるという希望を持つことができる。そして、平和憲法を持ち堪えて、明日の生き方をつくりだそうというのが私の希望です。

 

山内敏弘さん(憲法研究者・一橋大学名誉教授)

山内さん

山内敏弘さん

安倍内閣がすすめようとしている集団的自衛権の行使容認というのは、憲法の基本原理、立憲主義と平和主義を根底から破壊しようとするものであって、断じて許すことができないと考えています。

そもそも、他国の防衛に、武力行使をもって加担する集団的自衛権の行使が認められないということは、憲法施行以来、67年の長きにわたって、憲法原理を構成してきました。その意味で、日本の基本的なかたちを成してきたものです。

それをかえるためには、憲法は96条で改正手続を定めています。この手続を経ることなくして、その時々の内閣の憲法解釈によって、あるいは首相の一存によって、憲法の改正を実質的に行うということは、この96条に抵触するだけではなく、立憲主義そのものを破壊するものであると確信しています。

安倍首相は、憲法解釈の最終的な責任は自分にあると言っています。しかし憲法には、首相などの憲法擁護義務に関する規定こそあれ、首相が憲法の最終的な解釈権者であるとは書いていません。はたして、歴代総理大臣のなかで、このような不遜な発言をした者がいたでしょうか。いないと思います。

その時々の首相や内閣の解釈によって、憲法の基本原理を変更することがないように、内閣法制局といったものが存在してきました。あの中曽根首相も、あの小泉首相も、本心はともあれ、内閣法制局の見解に従い、一国の基本的な仕組みのあり方を尊重し、集団的自衛権の行使はできないとしてきました。

ところが安倍首相は、自分の意見に従う人を内閣法制局長官とすることで、憲法解釈を変更しようとしています。歴代の長官はこのようなやり方に反対しているのは当然です。

確かにこれまでにも、例えば文民条項、政教分離など、政府の憲法解釈が変更されることはありました。しかしこれらの解釈変更と、集団的自衛権の行使についての解釈変更には本質的な違いがあります。集団的自衛権の行使ができないというのは、戦後一貫して憲法の基本原理を構成し、日本の基本的な仕組みをつくってきたものです。そのようなものを、閣議決定で変更することは、立憲主義の破壊以外のなにものでもありません。

集団的自衛権の行使を可能とすることの法的な根拠はどこに求められるのか。容認論者はいくつかの理由を挙げています。ある論者は、憲法には集団的自衛権行使を禁止する規定がないと言っています。しかしそれは当たり前です。日本国憲法は戦争の放棄を規定し、武力の行使を禁止しています。そういう憲法のもとで、集団的自衛権の行使をわざわざ禁止する規定を書く必要はないのです。

あるいはある論者は国際法上許されている集団的自衛権の行使を憲法が禁止することはおかしい、という理論を説いています。これは国際法と国内法との違いについての無知の表明です。国連憲章は加盟国に集団的自衛権の行使を認めていますが、集団的自衛権というのは、国連の集団安全保障システムのなかにあっては例外的規定としてのみ認められているものにすぎません。そのようなものの保持を日本国憲法が否認したからといって、国連憲章の趣旨になんら抵触するものではありません。

第一次の「安保法制懇」は憲法9条を曲解し、自衛戦力合憲論を根拠に、集団的自衛権行使を容認する提案をしていました。これは従来の政府見解を否認するものです。

最近では、必要最小限度の自衛権行使の一部として、集団的自衛権の行使を認めることができるのではないかという意見があります。これは内閣法制局や公明党の支持を取り付けることができるかもしれないというかたちで出てきたものかと思います。しかし、「必要最小限度の自衛権の行使」というのは、あくまでも「自国を守るための必要最小限度の自衛権の行使」ということであって、海外に出て行って、他国のために武力行使を伴った戦争行為が「自国を守るための必要最小限度の自衛権の行使」と説明することは、到底できません。

集団的自衛権の行使は、国際的に見ても、大国の小国に対する侵略戦争の意味合いを持ってきました。そのようなものを認めることは、日本がふたたび侵略国家になるということを意味します。

憲法は、ふたたび戦争の惨禍が起こることがないように決意し、国際紛争をあくまでも平和的手段によって解決するということを、侵略戦争への反省を踏まえて定めています。そのことを、私たちは守り抜いていくべきであると考えています。

 

池田頼将さん(元イラク派遣航空自衛隊員)

池田さんは2006年7月、派遣されたイラクの隣国クウェートの基地で、米軍の関係車両に跳ね飛ばされ、まともな治療も受けられず、帰国することも許されませんでした。帰国後も執拗な隠蔽といじめによって、自衛隊を退職せざるを得ませんでした。首や肩の激痛などの重い後遺症を抱えています。現在、国の責任を問う裁判を行っています。(ジャーナリストの志波玲さんから)

池田さん

池田頼将さん

私はあごが開かず、呂律もまわらないかもしれません。話が聞きづらいかもしれませんが、一生懸命しゃべりますので、よろしくお願いします。

僕みたいに、負傷しても補償もない、集団的自衛権が行使されれば、さらにこういった問題が増えると思います。

自衛隊でのいじめ、僕も何度も自殺を考えましたが、それでは国の思う壺だと思って、裁判に踏み切りました。

今後二度と、こういう事故隠しや、自衛隊でのいじめによる自殺などを起こさないように、僕はたたかっていきます。

 

小山内美江子さん(脚本家)

小山内さん

小山内美江子さん

とにかく今日は寒いです。でもひとり、かっかと熱くなって、あっちこっちに飛んでいったりしている人がいます。日本の総理大臣という人らしいですが、あちこちでウソを言われたら困るんですよね。

世界は、福島の問題に注目しています。これは日本だけの問題ではありません。しかし、晴れやかな顔をして、「全部直っていますのでどうぞご安心を」。ウソばっかり。そのウソを知っているのは日本人ですから、日本のこういう状況を、よいところも悪いところも知らせていかなくてはなりません。

私は「戦争をさせない1000人委員会」のなかのひとりにしていただきました。とにかく、戦争はいやです。その昔は、そういうことを言うと、あのひとは「赤い」などと言われましたが、そういう時代ではありません。言論の自由もあります。それでも心配なら、私が一切引き受けて、あっちこっちで発言していきたいと思いますが、言うこときいてくれるかわかりませんね。

新聞社の方、この寒い中、あの人とは違った熱い気持ちを持ってここに集まった人たちのことを、ぜひ記事にしてください。

私はもういいですけど、次の世代、さらに次の世代のために、ここはがんばらなくてはいけない。日本の次の世代、ではありません。世界全体の次の世代のために、私たちはがんばらなくてはならないのです。どうか皆さん、今日から私と仲間だと思ってください。よろしくお願いします。

 

落合恵子さん(作家)

落合さん

落合恵子さん

こんなにもひどい時代と社会をむかえるために、私たちは、今日まで生きてきたのでしょうか。こんな社会をむかえるために、私たちの母や父は、働いてきたのでしょうか。こんなにも残酷な社会を生きるために、私たちの子どもや孫は、生まれてきたのでしょうか。

子どもは、世界中の子どもは、自分の生まれる国を選ぶことができません。戦争ができる国へと、見事な前のめりで疾走する現政権。特定秘密保護法、そして集団的自衛権行使の容認。許すことはできません。

60年も昔、故郷の栃木の、遊び友達の家の鴨居の上に、たくさんのモノクロームの写真が飾ってあって、友達は小さい指で指差し、「あれはおとうちゃん」「あれはおじちゃん」「あれは二番目のおじちゃん」、みんな異国の地で死んだと教えてくれました。私はそのとき「異国」という国がどこかに思い込んだほど、それだけ耳にこびりついた言葉でした。そして彼女は続けました、「みんな死んで、だからおばあちゃんが、へんになった」。真夜中、風雨が雨戸を打つと、そのまま裸足で外に飛び出して、「帰ってきたか」と言った、彼女の祖母でした。

私たちは、二度と、そんな時代を繰り返したくはありません。

敗戦後のこの国に流れた「リンゴの唄」を、私はかすかに覚えています。並木路子さんという方が歌われた明るい歌ですが、並木さん自身、東京大空襲の夜、お母さんと一緒に隅田川に飛び込み、お母さんは亡くなり、自分だけが生きてしまったことを、自分を責めながら生きておられたということを、戦後の歌謡史を調べるなかで知りました。

レバノン生まれのフォトジャーナリスト、マリア・オーセイミの『子どもたちの戦争』という本を翻訳させていただきました。そのなかに、次のような言葉が出てきます。「大人になったら何になりたい?」と聞いたそのとき、その子はこう答えた、「大人になったら、子どもになりたい。僕たちは子ども時代を知らないんだから」。こんなことをまた、言わせる時代を、私たちはむかえてしまうのでしょうか。

昨日は福島に行ってきました。年齢制限なし、県内か県外かも関係なし、18歳未満などと区切らない、望む人にはすべて甲状腺検査をしている、ある研究所を訪れました。国や県に楯突いているということで補助金は一切なし、いつまで続けられるかわかりません、と代表の方も言っていました。そのときちょうど、小さな女の子が検査を受けていました。これほどの被害を、主権者に押し付けた国が、ふたたび恐ろしい国策を押し付けようとしている。けっして、私たちは譲ることはできません。

教科書をはじめ教育にも介入が強まっています。自決だ、特攻だ、玉砕だなどということを、戦前と同じように、私たちはむかえるのでしょうか。そんなことはしてはならない。

国際オリンピックの会議で、「アンダー・コントロール」と原発について仰った、この国のトップに、私たちはその言葉を返しましょう。「あんたの支配下には、絶対入らない」と。

絶対コントロールされない、むしろ戦争をしたいあなたたちを、戦争をさせないと決めた私たちがコントロールしていくんだと、心を込めて、怒りを込めて、無念さを込めて、でも絶望の真ん中にあるという希望はけっして手放すことなく、私たちは、支配させない自分たちを誇りに思いましょう。従順であることを善き国民と言うならば、私たちは名誉ある非国民として生きていこうじゃないか。

 

佐高信さん(評論家)

佐高さん

佐高信さん

遠藤誠さんという弁護士がおりました。マルクス主義と仏教の両方を信じるという変わった弁護士で、亡くなりましたけども、「暴力団対策法」は暴力団だけではなく、市民も取り締まるものだとして反対し、山口組の弁護もやっていた弁護士です。

そうしたら、当時の山口組の渡辺芳則組長にチクった人がいたんです。「遠藤さんなんかに弁護を頼んでいると、山口組が左傾化しますよ」と。渡辺さんに「遠藤先生、いま、右と左を分ける目印みたいなものは、何なんですか?」と聞かれ、遠藤さんは「この間の戦争を侵略と認めるかどうか、そこなんじゃないか」と言った。すると組長は「それは侵略ですよ、他人の縄張りに踏み込んだんだから」。

いまの安倍は、まさにヤクザ、暴力団以下の頭しか持っていない。「集団的自衛権」というのは、他の組のカチコミ(ケンカ)に、自分たちも出かけてゆく。ヤクザだってそんなことはしません。

「集団的自衛権」行使容認ということは、「自衛」から「他衛」、他の国、つまりアメリカの戦争に参加する義務を負うということになるんですね。

いかに分かりやすく、若い人たちにも伝えていくかという、わかりやすさのたたかいということが一つの局面だろうと思います。戦争をしない、させない、許さない。ということで、皆さん、たたかっていきましょう。

 

メッセージ:高畑勲さん(アニメーション映画監督)

経済の好転を願うあまり、
藁をも掴むつもりで縋ったその藁が毒蛇だった、
というのは20世紀半ばにドイツや日本で起こったことです。
戦争への道を阻止し、
平和な世界を未来に伝えるために力を合わせたいと思います。