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【報告】6.12戦争をさせない全国署名提出集会・国会包囲行動

2014年6月17日

6月12日、戦争をさせない全国署名提出集会と国会包囲抗議行動が開催されました。

集会に先立ち、参議院議員会館内で記者会見を行いました。呼びかけ人の鎌田慧さん(ルポライター)、古今亭菊千代さん(落語家)、内田雅敏さん(弁護士・「戦争をさせない1000人委員会」事務局長)、福山真劫さん(平和フォーラム共同代表)が出席しました。

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署名を手にする呼びかけ人のみなさん。左から福山真劫さん、古今亭菊千代さん、鎌田慧さん、内田雅敏さん。

ここで、3月の「戦争をさせない1000人委員会」発足以降、全国でとりくんできた「戦争をさせない全国署名」の第1次集約分が計175万6368筆に達したことを報告。そしてこの署名を、首相官邸・衆議院・参議院に提出するが、衆参両議院は副議長が受け取りに応じるものの、首相官邸からは責任ある立場の人物の対応を拒んでいること。これから官邸に赴き、この戦争をさせない、「集団的自衛権」行使容認を許さないという巨大な民意にしっかり向き合うことを要請することを明らかにしました。

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民衆の声に向き合わない安倍政権の姿勢そのままの対応を絶対に許さない!

呼びかけ人を先頭に、首相官邸とのやり取りを行いましたが、誠実な対応はありませんでした。そのことを徹底的に弾劾しつつ、衆参両議院への提出行動に移りました。衆議院・赤松広隆副議長、参議院・輿石東副議長に手渡し、しっかりと受け止めることを要請しました。(なお、署名については内閣府の事務方を通じて、後日しっかりと受け取りをさせたことを報告します。

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175万6368筆もの署名が集まったことを報告され、会場は沸き立ちました

夕方からの集会は日比谷野外音楽堂で、古今亭菊千代さん(落語家)の司会のもとすすめられました。鎌田慧さん(ルポライター)からの主催者あいさつの後、内田雅敏さん(弁護士・「戦争をさせない1000人委員会」事務局長)から経過報告。

民主党・江田五月最高顧問、社民党・吉田忠智党首、生活の党・小宮山泰子国対委員長、共産党・山下芳生書記局長がそれぞれ党を代表し、たたかう決意を述べました。

また、山岸良太さん(日弁連憲法問題対策本部本部長代行)、高田健さん(解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)からの連帯あいさつを受けました。

そして、大江健三郎さん(作家)、落合恵子さん(作家)、香山リカさん(精神科医)、菅原文太さん(農業生産法人代表)、澤地久枝さん(作家)、樋口陽一さん(憲法学者)が発言しました。

【発言要旨】(発言順、文責・事務局)

大江健三郎さん(作家)

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私は、小説を書くことを昨年の終わりにやめました。どうしているかと言いますと、ペンで語っています。そしてこの社会でどのように生きているかということを、日記のようにして、特に海外の友人たちに、いまの社会でどのような生き方をしているかということを示すことにしたいと思っているわけです。

それはモデルがありまして、10年前にこのようなことを考えた人がいます。それが加藤周一という人です。素晴らしい文学史を書く文芸批評家で、あの加藤さんが10年前に仕事をお辞めになった。それからどうされたかというと、憲法9条の会というのをつくられたのです。そしてその9条の会の運動に大いに力を注がれた。それが加藤さんの新しい生活となったわけです。

加藤さんがその話を僕にされたとき、いま9条の会の事務局長をして頑張っている、小森さんから電話がかかってきました。そこで、加藤周一さんが君と一緒にやりたいと言っているから引き受けないかと言われた。私は、自分が役に立つと思いませんでしたが、引き受けた。その時に、本当に加藤さんから声をかけていただいたことが嬉しいという気持ちを抱いたのです。

そしてもう一つ思い出深いことがありました。それはノーベル賞をもらったあとで、矢島さんという女性から1通だけ、本当にきれいな立派な手紙が来たのです。その方が言われたのは、ノーベル文学賞おめでとう。しかしあなたのいいところは、ノーベル賞をもらった人間が、天皇からみんな受け取ることになっている文化勲章というものを受けなかったことだ、あなたはフランス文学者の渡辺一雄さんの一番の弟子だと思う、と書いてあり、私はこんなに嬉しいことを、素晴らしいことを言われたことは、しかも手紙をもらったことは初めてでした。そしてこの女性が、あとからわかったことですが、矢島翠という人で、あの加藤周一さんの奥さんでした。

矢島さんの間違っている点はひとつだけ。加藤周一さんこそが、渡辺一雄の最良の弟子でありました。戦争の末期に渡辺一雄さんと知り合われて、そして戦後ずっと、戦前の制度の、戦前の社会の日本とは全く違った文化、文明というものを作ろうという運動をされた人です。同時に日本の伝統的な美しさというものを確実に読み取る人として、しかもそれを外国に向けて発信した方が加藤周一さんでした。

その周一さんと一緒に9条の会をはじめたわけですが、私は加藤さんがそういう仕事をされるのだろうかと心配していました。加藤さんはとってもアカデミックな方です。とても学問的でモダンな人です。いつも本を読んでいます。ところが、そんな加藤さんが一旦始まりますと、もうほとんど毎週のように色んな会場に行って若い人たちに憲法9条について話すということをされたのです。それが加藤さんの晩年のお仕事でした。

先ほど、10年前に憲法9条の会が出来たと言いました。そして加藤さんがその呼びかけ人の中心にあった。そして、4年と6ヶ月くらい経つともう加藤さんは亡くなってしまわれたのです。すなわち加藤周一という人間の生涯最後の仕事がこの9条の会でした。そして憲法とは何かというと、この憲法によってあの悲惨なヒロシマ・ナガサキの経験をして破れてしまった国が、自信を失った日本人が、どのように戦後独自の文化をつくってきたか。平和について考え、芸術的を原則とする原理に従って、どのように日本人が立ち直ってきたか。そしてその文化はどのようなものかということを外国に向けて最も強く発信したのは加藤さんでした。

つまり加藤周一というのは、戦後の憲法のもとでの新しい文化、新しい文明というものをはっきり私たちに示し、しかもその根底に日本の長年の文化、文明というものがある。それを結びつけて新しいイメージを外国人に示した方です。加藤さんの仕事なしでは、わたしはヨーロッパがこれほど日本と関係を持つということはないと思います。しかも加藤さんは日本が平和憲法という、憲法9条というものをはっきり守っていくべきだということを言いました。そしてそのような憲法と民主主義によって、不変の憲法と民主主義によってこの日本の社会ができ上がって、しかも新しい文明を作って皆さんに渡していこうとはっきり外国人に、ヨーロッパの人間に、またメキシコを含めてアメリカの人たちに説き明かしたのが加藤さんでした。

ところがその戦後の新しい日本人のあり方を、どういうわけかその人はフランス語を使うのですが、これは最悪のレジームだと言った人がいるのです。日本人は戦後、最悪のレジーム、制度というものを作った。そのような人間として生きている。その根幹にあるものが憲法だということを言った。そして戦前のレジーム、あのわたしたちが戦争に巻き込まれた、苦しい経験をした、あの戦争前のレジームに戻そうというのがいまの首相のやっていることです。そしていまやっていることは全く日本の憲法を踏みにじることです。

集団的自衛権というものが国会を通れば、それも内閣の決議によって通れば、わたしたちは戦争に巻き込まれるでしょう。まず日本人の青年が人を、恐らくアジアにおいてでしょうが、外国人を殺すでしょう。そして殺した以上に殺されるでしょう。

ところがそれで安倍首相が後悔するかというと、そうじゃないです。わたしたちはあの殺された勇敢な日本人青年のために復讐しようじゃないかと。そしてはっきり戦争を推し進めようではないかと。そういう体制をわたしたちの本当のレジームとしようじゃないかと言い始めるに決まっています。どういう悲惨な事が生じても、それは安倍に反省を強いるものではない。新しい、最悪の方向に向かって彼を駆りたてる。そして恐ろしいのは、この青年が殺された、あなたがたはそれを放っておくのかと、一番単純な論理的にも思想的にも、もっと深いところにあるのではないか。もちろん殺された青年も悲しみますよ。

しかし彼のような人間をもう増やさないようにしようというのが、私どもがあの戦争の後につくった憲法です。それが私どもの平和憲法です。それを守るというのが、次の未来の日本人のレジーム、日本人の国、日本人の文化というものを作り出すことです。そのために力を尽くしたいと思います。

 

香山リカさん(精神科医)

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皆さんこんばんは。夜もいい具合に更けて来て、雨も降らなくて本当に良かったと思っています。わたしは精神科医という仕事を、もう30年近く続けています。色々な人たちにお会いして思うことは、人間は弱いものだと思います。色々な不安に脅かされたり、あるいは欲望に負けてしまったり、あるいは正しいと思っていても失敗をしてしまったり、色々な弱さを持っていると思います。しかしその弱さというものは、認めて受け入れて、また立ち上がっていく強さも持っていることも、診察していて思うことです。

2010年、いまからもう4年前になりますが、精神医学の世界で一つの事件が起きました。それはドイツで起きたことです。ドイツの精神科医たちの学会で、ナチスの犠牲者に対する追悼式典が3000人の精神科医の参加のもとに行われました。

ナチスというと、ユダヤ人の虐殺というイメージが強いと思いますが、実はユダヤ人だけではなくて身体に病を持った人や精神の病を持った人たちも、悪い遺伝子を残さないという名目のもとで安楽死、虐殺の対象になりました。そこで命を落とした、精神の病を持った方たちは、8万人とも10万人とも、その倍とも言われています。その時に、そのナチスの計画に、実は当時の精神医学者たちも協力してしまったのです。自分たちの病院から、いわゆる候補者を差し出してしまう。あるいは、自分たちの病院の患者を騙して、遠足に行くと言ってバスに乗せてガス室に送り出したり、そういうことに加担してしまったのです。

そのことに対してドイツの精神医学者たちは戦後、個人的に色々反省したり、謝罪したり、多くの精神医学者たちがそのことを後悔して自殺してしまいました。そのような動きが個人的にはありましたが、学会として公式に自分たちの行ったことに対するコメントは出していなかったのです。それが2010年になって、70年の沈黙を破り、追悼式典を自ら精神科医たちが主催して、3000人の精神科医が犠牲者の冥福を祈り、そして謝罪の言葉を述べました。

おそらく70年間、色々な形で悩み苦しみ、自分が手を下したという世代はもうほとんどいないと思います。しかし、精神医学の弟子たちが色々みんなで苦しみ悩み、そしてようやく自分たちの弱さを認め、間違いを認め、間違っていましたと公式に謝罪するまで、70年もかかってしまったのです。そのように間違い、自分たちの弱さに突き動かされて過ちを犯してしまう。そのことを認めて、また新たに一歩を踏み出すまでには長い長い年月がかかってしまいます。そこで払われた犠牲というのはあまりにも大きかったわけです。

私たち日本は戦後、自分たちが犯した過ちを、正式な形とは言い難いかもしれませんけれども認めて、その形の一つが日本国憲法なのではないかと思います。そしてもう二度と過ちは繰り返したくないと自分たちで自分たちを戒める、あるいは自分たちを振り返る、その弱さを見つめる強さを私たちは今まで持っていたはずだったのです。

ところがここにきて、なぜそれを手放すのでしょうか。自分たちは間違っていなかったとか、あの戦争は正しかったとか、大義があったとか言い出すような声も出て来ました。今になって弱さから目を背け、そして猛々しいふりや威勢のいいふりをすることで、弱さなどないんだ、日本は強い国だというふうに非常に不自然な形で強調しようとしている。それは精神科医から見ると非常に危険な態度です。自分の中にある不安や弱さから目を背け、敵は外にいる、自分たちは悪くないと言い出して、周りの人たちを攻撃しようとする。強いふりをしようとするのは、末期症状のように見えます。

個人であれば精神科医が、ちょっと診察室に来てくださいと言って治療をすることもできますが、国家に対する、政権に対する精神科医というのは誰なのでしょうか。きっとそれは皆さんの声です。それは、精神科医というよりも、まずは病院に行きましょうと政権に対して声をかける第一歩になるのだと思います。

ではその政権が行くべき病院はどこにあるのか私にはわかりませんが、自分たちがそんなに強いふりをしないで、自分たちの中にある不安や弱さがあるなら、まずそれを認め、そこから皆で力を合わせて社会をつくる、その勇気を持とうと呼びかける事ができるのは、本当に私たちや皆さんだけだと思っています。これから国会に出かけて行って、早く治療を受けましょう、早く気付きましょうという呼びかけを私も一緒に行いたいと思います。皆さん一緒に頑張りましょう。

 

菅原文太さん(農業生産法人代表)

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こんばんは。こういうところで喋る柄じゃないなと思いますが、戦争反対に反対するいわれはないので出てきました。一週間雨続きで、10人くらいしかあつまらないと心配しましたが、この会が始まったら急に青空になって気持ちがいいですね。こんな青空を見ていると、この先に本当に戦争なんてあるのかと思っていましたが、あるのかもしれない。

戦争というのは、政治家を含めて色々言っているけど、言ってみれば暴力です。暴力映画をしきりに撮ってきた私が言うのもなんだけど、あれは架空の話です。皆さんに楽しんでもらう以外の意図は何もありませんでした。ここへ来て急に戦争の声が飛び交うようになって、ついこの間まで普通に暮らしていたのが、皆さんそのことをどう思われているのでしょうか。戦争とか反原発そういう中で、私のような柄の者が難しいことを話すことはできませんが、戦争中の身近な話をしたいと思います。

私は昭和8年生まれですから、戦争が始まったのは小学校2年生の時です。戦争が始まった次の年に、親父が40歳過ぎで戦争に持って行かれました。帰ってきたのは戦争が終わった昭和23年でした。寄宿舎に突然訪ねてきて、私も親父も何も喋らないで、親父は「それじゃあな」と言って帰って行った。親父は5人兄弟で、長男もそのちょっと前に持って行かれた。続いて親父。親父の次の3男も赤紙で戦地へ向かって、それっきり帰ってきません。フィリピンから一通の手紙が届いたっきり、その後どこへ転じて行ったのかどこで死んだのか、餓死だったのか弾に当たって死んだのか、それも不明で、全く未だに神の国から戻ってこない。長男は帰ってきたけど、生涯マラリアに苦しめられて死にました。親父も帰ってきて、その後の暮らしは言ってみれば生涯棒に振ったということで終わっています。戦争はよくないです、戦争は絶対にやめなきゃだめです。

もし始まったら、皆さん命を賭けましょう。私はもう80歳だから惜しくない。と言って一人で走って行ってぶつかったってあんまり意味がない。そんなことより、皆さん一緒に戦争反対の気持ちを、今日、明日、明後日で終わらずに、これからも一緒に闘い続けましょう。

 

澤地久枝さん(作家)

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私は今夜飛び込みです。今日は菅原文太さんに続いて演壇に立つということは、私の人生では夢にも見ていなかったことです。つまりそれくらい日本の危機は深刻だと思います。

もう十数年前になりますが、「徴兵は 命かけても 阻むべし 母、祖母、おみな 牢に満つるとも」(※おみな…おんな(女)の古語)という歌を詠んだ方がありますが、女だけでなくて男の人も一緒に牢屋へ入ったらいいということです。私たちは絶対に戦争反対なのですから。

もし1千万人の人が戦争反対だと言って捕まることになったら、今はいくらでも捕まえる法律があります。例えば秘密保護法ではまだ誰も捕まっていませんが、たくさん罠が仕掛けられている中で私たちは生きています。しかし、何があっても私たちは戦争に反対です。

9条を守ったら自衛隊は持てないし、戦闘などはできない。ましてや集団的自衛権などはとんでもないということをみんなが心を合わせて言う勇気を持ったら、そこに希望があるし、安倍政権は怖がるだろうと思っています。あの人たちは恐怖によって私たちを恫喝しています。いつまでも安倍政権とその周りにいる支持者を怖がらせる存在でいて、戦争は許さない、絶対に戦争は許さないという声を上げ続けていきたいと思います。

私は菅原文太さんよりも3つも年上で若くはありませんが、戦争反対という気持ちは若いだろうと思います。その気持ちを忘れずに皆さんと一緒に歩いていきたいと思います。

 

落合恵子さん(作家)

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こんばんは、元気でいきましょう。先ほど日比谷図書館の地下で行われていた、日隅一雄賞の表彰式で話をしました。亡くなって今日で丸2年が経つ日隅一雄さんは、東電の記者会見の前でいつも鋭い質問をしていました。

日比谷を歩くと思い出します。1960年6月15日、私は15歳でした。あれだけ多くの労働者と学生が怒りを込めて国会を包囲した、あの6月15日です。22歳の樺美智子さんという大学生が亡くなりました。6月に入ると彼女の作品「人しれず微笑まん」を毎年読み返しています。

首相が「集団的自衛権」の行使容認に関して、今国会中に閣議決定をするように指示したと報道されています。ここまで市民を無視し、ここまで市民を冒涜する内閣を私たちはかつて見たことがあったか。ここで怒らなきゃ私たちは市民ではないと思います。この国で暮らす一人一人の生存権、人格権、自分を生ききる権利を踏みにじって、何が首相だよって思います。

1945年1月生まれで最後の戦中派です。わずかに残っている記憶の中には、街に傷痍軍人と呼ばれる人たちがいました。ラジオからは「尋ね人の時間です」で始まる放送が流れ、戦争によって離れ離れになってしまった家族や友人を問いかける番組がずっと流れていました。

あの時期を知っている一人として、私はやっぱり反対をします。ナチズムの時代に何度も様々な形の攻撃を受けて、ゲシュタポに捕まったこともあるドイツの文学者・詩人・児童文学者・小説家のエーリッヒ・ケストナーが「飛ぶ教室」の中で次のように書いています。「賢さを伴わない勇気は不法である。勇気を伴わない賢さはくだらないものだ。世界史には愚かな人が勇ましかったり、賢い人が臆病だったりした時がいくらでもある。勇気ある人が賢く、賢い人々が勇気を持った時に人類は前に進む」。世界史の中の、やたらに勇ましいけど愚かな人々に私たちは服従する気は全くありません。お断りしていきましょう。

人間の誇りというものは何だろうか。拒絶すべきものに拒絶したとき、自分の心の中に生まれるのが私は誇りだと思います。そのささやかな誇りを捨てないで、生きていこうと思っています。最近好きな言葉の一つに、「人生は名詞ではなく、動詞である」という言葉があります。私は動き続けます。皆さんと一緒にずっと反対の声を上げ続けます。弓引いてやるぞ、待ってろよ!という想いの中で、一緒に歩かせてください。

 

樋口陽一さん(憲法学者)

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今の日本政治の無残な姿は、憲法研究者として、一人の市民として、何より人間として、見過ごすことができません。まず憲法研究者として、憲法の制限の下にあるはずの権力者が、自らの寄って立つ一国の法秩序を次々に壊していく。私が決めるんだ、と突っ走る。

人とお金に困っているアメリカ合衆国の当局は、地球の果てまで戦争に付き合ってくれそうな日本を歓迎するでしょう。もう一方で、アメリカ人には憲法こそがアメリカという社会を作ったという思想があります。代表的な憲法学者の一人、イエール大学のブルース・アッカーマンは、数日前にメッセージを出しました。「日本はいま憲法の歴史の分かれ道に立っている。日本がどう決めるかは、日本国民だけでなく世界中のリベラルデモクラシーや憲法を大事にしようという人間の行く末にとって決定的である」。こういう手紙です。

私は敗戦時に11歳で、仙台にいました。焼夷弾の雨が降ってくる中を逃げ回りながら生き延びて、今日に至っています。そういう歴史から何事も学ばず、それどころか自由民主党が過半数を占める内閣が、歴代の内閣が作り上げてきたアジア外交の遺産をことごとに悪しざまに扱ってきた。そういう勢力によって、国民が廃墟の中から作り上げてきた戦後日本の姿を力ずくで捻じ曲げようとするのを黙っているわけにはいきません。

国民一人一人の運命を左右する「集団的自衛権」の問題を扱う、驚くほどの軽さ。戦前、ドイツと日本の軍事同盟が日本の命運を大きく変えていきました。あの時ですら、ドイツと事実上の軍事同盟が始まって、それが日独伊三国同盟として固まっていくまで足かけ5年かかっています。

いま日本で1~2週間の間に、日本やアジアの将来、あるいは世界の未来を左右することを決めようという軽さ。去年の今頃は国民投票で決めてもらう、そのためには国会議員の3分の2の多数を要求する発議要件によって邪魔しないでくれ、と言っていました。

ところが安倍首相は、もはや憲法改正の国民投票の結果に自信を失っている。論理も自尊心も失っています。私たちの力がそうさせているのです。これからの長い道のり、もう一息です。長い道のりを追い詰めていきましょう。

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官邸前には呼びかけ人が先頭に立ってアピールとシュプレヒコールが行われました。

集会終了後、参加者はそのまま国会周辺へと移動、抗議行動を開始しました。四方からの「戦争をさせない!」の怒りの声が、国会、そして首相官邸を包み込みました。最後の3分間は一斉にシュプレヒコール。包囲行動の成功を確認しながら、終了しました。