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【壊憲・改憲ウォッチ(14)】安倍元首相の国葬に関して

2022年7月22日

飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)

2022年7月22日、岸田自公政権は安倍晋三元首相を国葬にするとの閣議決定をしました。

安倍元首相の殺害は犯罪であり、いかなる理由にせよ、決して認めることはできません。

ただ、安倍元首相の国葬には大きな問題があります。

いろいろ問題はありますが(たとえば「思想及び良心の自由」(憲法19条)の問題)、ここでは2つの問題を取り上げます。

【1】民主的でない国葬決定

ある人を国葬にするかどうかを決めるのであれば、主権者から選ばれた国会議員たちが制定する法律に従って決めるべきです。

それが「法律による行政の原理」の要請です。

また、国葬は税金を使うことになるため、ほんらい、国民代表である国会での議決が必要です(財政民主主義。憲法83条)。

ところが岸田自公政権は「法律」によらずに「閣議決定」で国葬を決めました。

国会の議決を経ずに私たちの税金の使い方を決めました。

岸田自公政権の閣議決定は、「法律による行政の原理」や「財政民主主義」から正当化できません。

岸田首相は「民主主義を守る」ために安倍元首相を国葬にすると言っていますが、国葬の閣議決定じたいが「民主的」ではありません。

岸田首相は国葬の法的根拠として、内閣府設置法4条3項33号の「国の儀式」を挙げます。

やや細かい議論になるかもしれませんが、内閣府設置法は法的根拠にできません。

行政活動は法律に従って行われなければならないという「法律による行政の原理」ですが、ここでいう「法律」とは「組織規範」「規制規範」ではなく、「根拠規範」でなければならないとされます。

「根拠規範」とは行政活動の「要件」と「効果」を定めた規範です。

内閣府設置法は「組織規範」であり、どのような人物が国葬の対象となるのかという「要件」、国葬に際してどのような行為が行われるのかという「効果」(例えば休日になる等)を定めた「根拠規範」ではありません。

「内閣府設置法」は、「国の儀式」をするのは他の法令がない限り「内閣府」と定めただけで、この規定から「国の儀式」をおこなっても良いとはなりません。

というのも、内閣府設置法のような「組織規範」を根拠に行政が自由に活動できるとなれば、「法律による行政の原則」は空文化し、内閣は好き勝手に行動できるからです。

さらに内閣府設置法4条3項は、「前条第2項〔内閣府設置法3条2項。飯島補足〕の任務を達成するため」とされています。

内閣府設置法3条2項で明記された、どの任務を遂行するために安倍元首相の国葬が必要だと岸田自公政権は主張するのでしょうか?

繰り返しになりますが、岸田首相は「民主主義を守る」ために安倍元首相を国葬にすると言っていますが、国葬の閣議決定が「法治主義」の基幹的法理である「法律による行政の原理」や「財政民主主義」から正当化できず、「民主的」ではありません。

【2】国葬が適切か

安倍元首相には卓越した業績があると岸田首相などは主張します。

安倍元首相を高く評価する人もいます(特にテレビによく登場するコメンテーター、学者)。

一方、安倍元首相には森友学園、桜を見る会、加計学園問題など、疑惑まみれの人物との評価も根強くあります。

「桜を見る会」に関しては国会で118回も虚偽の答弁をしたことは本人も認めています。

外交で成果をあげたとの主張もありますが、拉致問題、北方領土問題、安全保障の分野でも具体的な成果はなく、アメリカやロシアにいいように扱われ、お金を巻き上げられただけ、だから外国の評判も良いとの評価もあります。

繰り返しになりますが、安倍元首相の殺害は決して認めてはいけない事件です。

ただ、安倍氏が政治家としてなにをしてきたのかは正確に検証される必要があります。

とくに最近、安倍元首相と(旧)統一教会の強い結びつきが問題となっています。

第1次安倍政権下で統一教会が公安の監視対象から外れました。

2015年、これも安倍自公政権時ですが、文化庁(当時の文科大臣は下村博文氏)は統一教会が「世界平和統一家庭連合」と名称を変更するのを認めました。

2021年9月12日、「世界平和統一家庭連合」主催のWEB集会で安倍元首相の基調講演が発信されました。

このことに対して、統一教会による霊感商法被害の救済と根絶のために結成された約300人の弁護団は安倍元首相に公開抗議文を提出しています。

→ 公開抗議文 衆議院議員 安倍晋三 先生へ 統一教会 家庭連合 ( stopreikan.com )

7月14日、タレントの八幡愛さんはtwitterで「芸能人は反社と写真撮っただけで仕事を干される」のに対し、「元総理大臣や国会議員は反社団体の広告塔になろうがビデオメッセージ送ろうが、告別式が中継されて、評論家やコメンテーターから生前の功績を褒めてもらえて、最後には国葬までしちゃって、政治と反社の繋がりが無かったことになりそうなのすごい!」と批判しました。

「霊感商法」により多くの人々の人生が破壊され、家庭崩壊をもたらしたため、統一教会は「反社」と認識されてきました。

多くの市民を不幸のどん底に陥れてきたので「反社」とされる「統一教会」と安倍元首相が関係していたとすれば、そうした人物を「国葬」にすることは適切でしょうか?

岸田自公政権がすべきことは、国葬決定より前に、安倍元首相と統一教会の関係を明らかにすることではないでしょうか?

安倍元首相を国葬にする理由について、自民党政治家との関係が深い田崎史郎氏は「保守層に対する岸田首相の配慮」と発言しています。

「国葬のために来日する外国首脳に岸田首相が後継者であることを印象付けるため」と自民党関係者が発言しているとも報じられています。

こうした理由で安倍元首相を国葬にすることが適切なのでしょうか?