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【壊憲・改憲ウォッチ(15)】安倍元首相の国葬と「法の下の平等」「思想及び良心の自由」

2022年8月14日

飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)

前回は主に「民主主義」から安倍元首相の国葬の問題を論じました。

今回は主に「法の下の平等」「思想及び良心の自由」から安倍元首相の国葬を論じます。

【1】「法の下の平等」(憲法14条)と安倍元首相の国葬

日本国憲法では、人の価値は「平等」です。

安倍元首相の価値は高いが一般市民の価値は高くない、こうした主張は日本国憲法では認められません。

たとえば今、コロナ感染の中で医療関係者の献身的な仕事は、日本社会に多大な貢献となっています。

多くの市民の正当な仕事や活動も、日本社会にとっては極めて重要です。

安倍元首相の功績は卓越しているから「国葬」とした岸田首相の判断は「政治家の思い上がり」です。

安倍元首相の国葬は「法の下の平等」から正当化できません。

【2】思想及び良心の自由の歴史的背景と意義

「人権」という考え方は、宗教をめぐる悲惨な弾圧と戦争の末に生まれました。

ヨーロッパのキリスト教世界は、相互に対立する宗派を「神の敵」と見なしました。そして宗教をめぐり、血で血を洗う弾圧と戦争が繰り返されました。こうした悲惨な争いを避けるため、個人に「信教の自由」が「人権」として保障され、「人の心や信仰」に関与してはならないとされました。

その結果、「人の心や信仰の領域」での「国の中立性」も「信教の自由」の内容とされました。

日本国憲法19条では、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定められています。

思想及び良心の自由、とくに「良心の自由」は欧米では「信教の自由」と不可分なものとして主張されてきました。

「信教の自由」と同様、「思想及び良心の自由」に関しても、公権力が特定の思想を強制したり禁止できないこと、人の心の領域での「国の中立性」が内容とされます。

「安倍元首相は優れた人物」という価値を国の行為として表明することになる「国葬」は、「国の中立性」と相容れません。

まずはこの点で安倍元首相の国葬は憲法19条から正当化できません。

さらに、末松信介文科大臣は学校に黙とうなどを求めるかどうかについて、「政府全体の方針によって対応する」と述べ、「求めない」とは言いませんでした。

中曽根首相の合同際に際して文科省は黙とうの実施や歌舞音曲の自粛を国立大学に求めました。

国葬は合同葬より格が上となるため、黙とうなどを求められる可能性があります。

国や自治体が市民に弔意を強制することは「思想及び良心の自由」を侵害します。

さらに「国葬」により事実上、安倍晋三元首相への弔意を示さざるを得ない状況に置かれる可能性があります。

同調圧力の強い日本ではこうした傾向に拍車がかかるかもしれません。

その際には「国葬」が「思想及び良心の自由」を侵害する状況を生じさせたことになります。

「思想及び良心の自由」の内容として、精神的領域での「国の中立性」が要請されることを紹介しました。

「国の中立性」は、精神面での市民間の争いを起こさないための歴史的成果でした。

しかし岸田首相はこうした歴史の成果を踏まえず、安倍元首相の国葬を決めました。

その結果、いまの日本社会でも国葬に賛成の人たちと反対の人たちの間で争いが生じています。

この点でも、岸田自公政権による安倍元首相の国葬の閣議決定には問題があります。

なお、安倍晋三元首相と深いつながりのあった旧統一教会の儀式や教義が「国葬」に現れるようであれば、「政教分離」(憲法20条等)からも正当化できないものとなります。

【3】民主主義を守るための国葬?

岸田首相は「民主主義を守りぬく」ために「国葬」と言っています。

国葬だから全国民は黙とうせよといった状態が生じれば、「民主主義」ではなく「全体主義」となります。

共同通信社が7月30日、31日に実施した世論調査では、賛成45.1%に対して反対は53.3%になります。

反対世論が多数を占める中での「国葬」の実施が「民主主義を守り抜く」ことになるのでしょうか?

安倍元首相の殺害じたいは許されない行為ですが、「霊感商法」等で多くの人々の生活や家庭を崩壊させてきた「旧統一教会」との結びつきが強い安倍晋三元首相は国葬の対象としてふさわしいのでしょうか?

このことをまじめに検討する必要があります。